『ごめんね』『いいよ』で丸く収まる美しい世界

 

最近暑い日が続いています。夜でも30度越えの熱帯夜が続いています。みなさまお加減はいかがでしょうか。

 

今回は僕が幼稚園のころの話をします。

 

テンプレセリフ

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どこの世界もそうですけど、幼稚園も子供同士で喧嘩が絶えません。

 

その理由は些細なことだと思いますが、幼稚園の先生は子供の仲裁に入ります。

 

そして先生はお互いの言い分を聞いた上で、話をまとめ、最後に子供はこう言うように促します。


『ごめんね』
『いいよ』

そして握手して仲直りです。

 

子供は大人より考える力がないですが、僕はそのテンプレセリフにぼんやりと疑問を覚えていました。

 

ある日僕は喧嘩をしました。否、嫌がらせを受けたのかな。具体的には覚えていません。

 

先生は仲裁に入ります。そしてお互いの言い分を聞いて最後にテンプレを引き出します。

 

相手は『ごめんね』と言いました。でもその時僕はこう言いました。


『いや』

 

今思えば『いいよ』以外の言葉を返してみたいという、一種の知的好奇心だったのかもしれません。

 

その先どうなったかは覚えていません。多分先生が僕に許すように言ったんだと思います。

 

幼稚園の先生は正しい仕事をしています。喧嘩の仲裁も運営上大切なことです。

 

ただ、僕が幼稚園の頃からちょっとひねくれていたんです。当時は1+1=1って言っていたのにね。

 

さっきも言った通り、大人と子供と比べれば、子供の考える力は弱いです。些細な喧嘩なら大人がきちんとお互いの言い分を整理すれば自分が悪かったってすぐわかります。

 

でも、『ごめんね』と『いいよ』この言葉を繰り返して全てが丸く収まるのが、子供ながら気持ち悪く感じたんだと思います。

 

でも、それはそれで素晴らしい世界だとは思います。大人の世界は『ごめんね』『いいよ』で解決するほど簡単じゃないですから。

 

素直さと純粋さと

 

先生の話をちゃんと聞いて、謝る。その素直さと、純粋さ。子供は透明なビー玉みたいに美しいって思います。

 

僕はまだ若いですが、それでも長い間生きています。でも長く生きていくと、だんだんビー玉の色が濁っていきます。

 

なんででしょうね、悪いことをしても素直に謝れなくなるのは。

 

なんででしょうね、人の話を素直に聞けなくなるのは。

 

本当に、なんででしょうね。

 

小さい子供を見ながら、そんなことを思います。